日暮れの音

辻邦生《背教者ユリアヌス》をめぐって

午前。永井荷風、夏目漱石、小泉八雲、泉鏡花。六月だというのに気温が三十度を超える墓地で文豪のお墓を探していると、額からも背中からも汗が流れて、ただでさえ広い雑司が谷霊園がなおさらに広く思えた。空からは遮るもののない日差しがアスファルトの路面が白く見えるくらい強い光と熱で照りつけて来て、そのせいで樹木や墓石の影は黒く塗りつぶしたようだった。

お墓参りを終えて徒歩で鬼子母神へ。手水舎で身を浄めようと柄杓で水をすくい作法通りまずは左手に水をかけると暑さのせいでわずかにぬるい。水が冷たければ冷たいほど浄められたような気持ちになるのは、真冬に川や海に入り身を浄める祭りなどの印象によるすりこみのせいかもしれない。お賽銭をと思い財布を開けるとあるのは一万円札と一円玉だけで、まだ長い今月の残りの日々をキャベツばかりをかじって過ごすわけにも行かず、アルミニウムでできた硬貨を投げ入れる。浄めたりない身と相まって身が小さくなる思いで二礼二拍手一礼。願い事も小さめ。

学生時代に母が住んでいたという下宿を探しに参道へ歩いていくと、父が「これだったと思う」とひとつの建物を指し示す。確かに古く昭和のおもむきがあり、そこで過ごしたであろう現在の自分よりも若い母の青春を思い浮かべる。

午後。学習院大学で辻邦生の新装版『背教者ユリアヌス』刊行記念講演会。
暑さはますます厳しかったけれど、生前の辻さんが歩いている様子を想像しながら学習院大学の敷地内を散策。ちょうどお昼時で講演会の開演までには時間があり、空腹を感じていたので学食で昼食にする。クリームコロッケ定食、450円。

『背教者ユリアヌス』を美術の観点から解説される金沢百枝さん。
四世紀にローマ帝国のあちこちからコンスタンティノポリスを飾り立てるために運び込まれ、実際にユリアヌスが見たかもしれない美術作品と、辻さんが作品を書くために目にしたであろう美術作品をスクリーンに写しながら、ところどころで『背教者ユリアヌス』の引用を金沢さんが朗読されると、辻さんとユリアヌスが見ていた景色が目の前に浮かんで、ごく短い一文に肌が粟立つ。

辻邦生さんとの思い出を静かに抑揚を抑えて語る加賀乙彦さん。
パリ留学時代、辻さんと二人、森有正の家に遊びに行くと自家製の納豆を出され、藁のないフランスで納豆を作るために新聞紙に包まれていたという納豆を心配そうに見る加賀さんに、森さんはこれはお硬い新聞ル・モンドではなく、フィガロだから大丈夫だ、と言ったという。当時のフランス留学者たちの姿が垣間見えるエピソードで可笑しい。

帰国後、医者の身でありながら文学を志す加賀さんへ辻さんは「君は国民の税金を使って医学を勉強した身なんだから医者として使命を果たせ」と毒舌に言い、それでもひたむきに作品を書き続けて文学賞を受賞した加賀さんの報告に「君がもらえるはず無いんだけどなぁ」と発言したという。そのやりとりは文字にしてしまうと辛辣だが、こんなやりとりをしながら笑いあったのであろう二人の友情が羨ましい。

1999年7月29日、軽井沢のスーパーで買物中に亡くなった辻さんを語るとき、それまでの抑えていた抑揚が一瞬だけみだれて、わずかの間のあとに「……本当に悲しかった」と言った加賀さんの言葉の揺れは痛切で、思わず涙が出てしまい、ハンカチを目頭に押し当てる。「良い友達でした」と言って話し終えた加賀さんに、数年前亡くなった祖父が生前、戦場で亡くした戦友を語る姿が重なる。

夜。帰宅した父から「お母さんの下宿は全く違う場所だそうです」と連絡が来る。

辻邦生の読んだプルースト

パリの瞬間