パリの瞬間
フランス農村地帯の夕焼け
大潮のモン・サン=ミシェル
時差ぼけで降り立ったパリ、シャルル・ド・ゴール空港は真夏のような日差しでくっきりと照らしだされていた。先程まで機内の狭い椅子に長時間座り続けていたせいで体が蛹から出たばかりの昆虫のように縮んでしまっていたが、それも徐々に血液が巡り始めるとボーディングブリッジではもつれていた足も何とかスムーズに動き始めた。重いスーツケースを引きずり慌ただしく行き交う人々の間を抜けて空港の外へ出ると、外は額に汗が流れるほど暑かった。もう夕方だというのに日没が九時過ぎになるフランスでは太陽はまだまだ天上に位置し、四月下旬のパリの街にじりじりと乾いた光線を注いでいた。ぼくは上着を脱いで肩から斜めにかけた鞄のベルトに引っ掛け、空港の売店で買った水を飲んだ。それは日本の水とは違い、飲み込んだ後で牛乳のように口の中で膜を作った。頭はまだ完全には目覚めきっていなかったけれど、考えるより先に、体はここがフランスであるということを認識したようだった。
滞在先のホテルは十九区の市街地からは離れた場所にあった。チェックインを済ませてメトロに乗るとオペラ駅までは二十分ほどかかった。夕食にしようと入った店の店員は忙しそうに行ったり来たりしていたが、注文をしようと声を掛けたら英語で「1 minutes!」と言ったきり、一向に来る気配がない。もう一度声を掛けるとやっとやってきて注文を取り、テーブルにパンを置いたかと思うと大きな声で今度は日本語で「オイシソッ!」と言った。
朝九時、ホテルの外へ出ると前日とは打って変わってパリ市内は冷え込んでいた。ある程度備えては来たつもりだったが、それでも上着の下に厚手のセータがあと一枚くらいは必要だった。
メトロの駅で一日乗り放題の切符、モビリスを買い、七号線に乗る。途中男二人組が乗り込んできて、アコーディオンを鳴らしながら大きな声で歌い始めた。乗客は誰も動じずに今までどおり座席に座っている。歌い終わった男が狭い車両内をチップを集めてまわった。二、三人の乗客がそれに応じ、あとのほとんどは相手にしなかった。
プラス・モンジュ駅で下車し駅の階段を上ると、目の前は広場になっていた。まだどの店も開いていない時間帯のせいか広場は閑散としていて、人通りが少なかった。ぼくが日本で印を付けてきた地図を片手に迷いながらようやくそれらしい通りを見つけたのは、あちこちでカフェが開店する時間だった。
デカルト通り37番地。かつて日本の作家、辻邦生が暮らしたアパルトマン。右隣の建物はポール・ヴェルレーヌが亡くなった場所で、一時ヘミングウェイが住んでいたという。壁面に“kunio TSUJI”の文字が刻まれたプレートをしばらく見上げていたが、急に忘れていた五感が戻り、パリの寒さに身震いがしてきた。
「How old are you?」
チケットを購入しようとすると受付のカウンターで品の良いマダムからそう尋ねられた。どうやら学生と思われたようで「27!」と返すと、意外という顔をされた。どうやら西洋の人々には日本人は実際よりも若くみえるものらしい。
クリュニー中世美術館は1世紀から3世紀にかけて作られたローマ時代の浴場跡に建てられている。建物の殆どは14世紀に建てられたものだが、その一部ではローマ時代の遺跡がそのまま展示室となっていた。展示室の一番奥には通常筋骨たくましく現されるローマ皇帝とは少し雰囲気が異なった、ギリシアの哲学者のような風貌のユリアヌスの彫刻が立っている。
特別展示で撮影が禁止されていたので、こちらはルーブル美術館所蔵のユリアヌス像
辻邦生はかつてここを森有正とともに訪れ、この場所が「ユリアヌスの浴場跡」と言われていることを知ったという。ユリアヌスはこの場所で兵士たちの盾に担がれて皇帝に即位したという。『背教者ユリアヌス』はこの場所が無ければ生まれることがなかったのかもしれない、と思った。
ふと美術館に展示された盾が目に入る。ただ装飾の美しさに気を引かれた。よく見ればそれがローマ時代のものではないことは一目瞭然だったけれど、それに担がれているユリアヌスが目に浮かんだ。
クリュニー中世美術館の展示物。不思議と愛嬌があった。
美術館を出ると妻が「わさお」と言った。彼女の指差す方を見ると白い毛をふさふさとさせた犬が、石畳の上に気持ちよさそうに寝そべっていた。それは確かに日本で映画にまで出演した、あの「わさお」のようだった。
クリュニー中世美術館の前にいた犬。“パリのわさお”と名付けた。
「Student?」
四面の白い壁が太陽の光を反射する吹き抜けの空間で、また年齢を尋ねられる。1925年、ル・コルビュジェ初期の作品になるラ・ロッシュ邸は静かで時間が止まってしまったような住宅街にひっそりと建っていた。最寄り駅のジャスマンで道に迷っていたら目の前に日本食の惣菜屋があり、道を尋ねると「よく尋ねられるけど、行ったことないのよ」と言う日本人の奥さんが、親切に地図をくれた。
ラ・ロッシュ邸。外から見るとこじんまりとしたようだが、空間は広く開放感があった。
一階、玄関を入って右側にコルビジェの顔写真がかけられていた。太い黒縁の眼鏡をかけた彼はどこか永井荷風に似ている、と妻が言った。ぼくらはそれがおかしくて暫くの間笑い合っていた。
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