日暮れの音

静かな家

私の住む部屋の窓は高架の線路に面していて、朝夕のラッシュ時間になると複々線のその線路を大きな音をたててひっきりなしに電車が行き来するから、ほんの少しでも窓を開けていると静けさというものがまったくない。

「ふくふく」とひらがなで表記してみればどこか可愛らしさもあるのだけれど、四本の線路から重層的にならされる合奏は「ふくふく」という丸味のある響きとは対照的に、重くとけとげしく響くので、夏の朝夕に吹いてくる涼しく快い風も、または暖房で淀んだ空気を引き締める冬の冷気も、その音を連れないではやってこず、室内は振動したとげとげしい空気で満たされてしまう。

感染症の拡大を受けて自宅での仕事が続き、窓際に置いた机に向かっている私の耳に、普通列車、急行列車が上り下りと続けざまに通り過ぎてゆく音が響くとき、ふと一キロ以内に公共交通機関など通っていなかった郷里のあの静けさが懐かしく思い出される。

虫たちの音が絶えた冬には、遠くからカラスの鳴き声が響くほかはほとんど無音の集落に、一〇〇メートルほど先の道を散歩中のおじさんの思い切りのよいくしゃみが三度連続で聴こえてくるあの静けさが。

休日、外出もままならない状況下、ふとあの静かな家で読んでいた本、辻邦生『言葉の箱』のこのような一節を思い出す。

 このロマン・ガリの『天の根』という小説のなかに、やはりドイツの収容所を扱ったおもしろい話があります。収容所でフランスの兵隊たちが強制収容されて捕虜になっているわけですが、士気が衰え刻一刻と頽廃の気配が蔓延している。そのときに、ロベールという一人の男がみんなに、ぼくたちのなかに一人のかわいい女の子をつくろうよ、その女の子がここでぼくたちと一緒にいるということにしないか、と提案するんです。みんなが、それはいい、ということで、女神のようにかわいい女の子ができ上がるわけです。
 そうするとその女の子の前では男らしく振舞おうと、努力するようになる。
 (中略)すると、それを見ていたドイツの兵隊が、これはおかしい、何かあるに違いないと警戒して、あるとき、ワーッと来て、寝台の下からロッカーの中から調べた。もちろん何も出てこなくて、挙げ句の果てに空想の一人の女の子がいることがわかり、収容所長がやってきて、その女の子を引き渡せという。実際にはどうすることもできませんね。だからぼくたちは命に賭けてその子を守りますと頑張る。

続けて辻邦生は想像の力がどれほど生命感を高めるのか、ということをこのように語る。

 ぼくたちは現実の中に閉ざされて、それぞれが与えられた環境の中に押し込められている。にもかかわらず、想像力のお陰で、どんどん外に出ることができる。自在に羽ばたくことができる。(中略)いかに想像力は、つらい状況を超えて、ぼくたちを励まし、生命感を高め、ぼくたちの心に喜びの感情、勇気の充実した感じをもたらしてくれるか

当時の私には、静かな家はけっして楽園ではなかった。どこへゆく手段も持たず、ただ無音に耳をすませていたあの日々に、この言葉がどれほどの励ましを与えてくれただろう。

今では私は自分の意志でどこへでも行ける。電車も車も移動に便利な手段はいくらでもある。けれどそれは、このような状況になってみるまで考えもしなかったことだ。ましてあの静かな家で過ごした日々のことを、このように思い出す日が来るということも。

思いもかけず、またあの少年時代の気持ちを反復しながら「想像力のお陰で、どんどん外に出ることができる」という辻邦生の言葉を噛み締めている。