辻邦生の読んだプルースト
まえがき
「辻邦生―パリの隠者」展
2017年11月12日、恵比寿の日仏会館で開催されている「辻邦生―パリの隠者」展に行ってきました。保苅瑞穂さんの講演「辻邦生の読んだプルースト」を拝聴したのですが、とても感動的なお話でした。
というのも、十代のころから大好きだった辻邦生さんについてのお話を、大変感銘を受けた本『モンテーニュ私記』の著者である保苅さんが話すというのは、私にとって盆暮れ正月がいっぺんにやってきたかのような大事件だったからです。
日仏会館へ行くのは二度目でしたが、前回訪れたのは2015年に開催された「翻訳文学の明日に向かって」でした。
先ごろモンテーニュの『エセー』を完訳された宮下志朗さんや、大好きなフィリップ・フォレストの『さりながら』を翻訳した澤田直さん 、さらには何度読み返したかわからない『河岸忘日抄』の作者、堀江敏幸さん、ジャン・フィリップ・トゥーサンの翻訳で有名な野崎歓さんが登壇されました。
なんだかアーノルド・シュワルツェネッガーとシルベスタ・スタローンとスティーブン・セガールとブルース・ウィリスが一つの映画に勢ぞろいしているような豪華絢爛たる顔触れで(どんな映画になるんでしょう……)、大変興奮したのを覚えています。
記憶違いでなければこの時、仏文学者、清水徹さんが冒頭でお話され、私にとっては憧れ中の憧れ、渡辺一夫さんの生前のお話を聞くことが出来て涙が出る思いでした。
無性にその著者に会ってみたくなる
講演会場は開始三十分前に到着するとほとんど満員。運良く一番後ろの入口近くの席に座ると、その後程なく満席。入りきれない人たちがロビーに沢山いらっしゃったようです。見渡すと会場には私の父親、あるいはそれよりも上の世代と思われる方が多いようでした。
さて、保苅瑞穂さんは著書『モンテーニュ私記』の冒頭でこのように書かれています。
ある本に巡り合ってそれを読んでいるうちに、どうかすると無性にその著者に会ってみたくなることがある。ただそうは思っても、そのときほとんどがもうこの世の人ではなくなっている。それでもこんな人間がこの世にいたのかと思うと、それが嬉しさや共感になり、ときには生きることの励みになることもある。
それは私にとって紛れもなく、辻邦生のことです。
随分前のことになりますがお墓参りに行き、偶然後ろのお墓が空いているのを見ると真剣に死んだらここに埋葬されたいと思ったものです。
2009年には軽井沢で行われたご夫人、佐保子さんと磯崎新さんの対談を見に行きました。
それからそれほど時を置かずに惜しくも佐保子さんはご逝去されたので、あの時、お手紙をお渡ししたのは、大変不躾でご迷惑だったなという後悔と共に、しかしそれ以後の機会はなかったのだなという痛みをもって思い出します。
プルーストと辻邦生
パルテノン神殿の啓示
保苅さんは生前の辻さんとは面識がなかったそうですが、プルーストを介して辻邦生像に接近していきます。
『失われた時を求めて』では文学を志しながら書くことが出来ないまま過ごしてきた主人公が最後、年老いて何を見ても美を感じることもなく、感動を忘れてしまい自身の夢を諦めかけたとき、転びそうになって偶然敷石に足を掛けたその瞬間に感動が蘇り、美を感じる心を取り戻します。
辻さんはこの場面を「体をこすりつけるようにして読んだ」といいます。
小説を書くことに根拠を見つけられずにあがく若き日の辻邦生も長引くパリ滞在の中で、次第に焦燥に駆られていきます。留学費用が底をつき日本へ帰国するために手を付けずにおいたお金を彼はギリシアへの旅費に充てます。ヨーロッパ文化の根源に触れることで何か得られるものがあるかもしれない。そうして訪れたアクロポリスでパルテノン神殿を見たとき、彼はひとつの啓示を受けました。
――この世があって美があるのではない。美があってこの世がある。
嗅覚や味覚から過去の記憶を蘇らせる現象はプルースト効果として知られますが、ヨーロッパ文化の根源はそれを目にした若き辻邦生に個人の記憶を超越した真実の美を想起させました。それはあたかも転びそうになって偶然敷石に足を掛けた主人公が感動を取り戻したときのように。
西行花伝
保苅さんは作家、辻邦生の誕生を(私の拙い言語力と理解力で要約すると)以上のように語っていました。さらに後年著した『西行花伝』で年老いた西行が峠道で杉の根をまたいだ瞬間に、若かりし頃に全く同じ杉の根をまたいだことを唐突に思い出すシーンを引き合いに、これは辻さんが「プルーストと和したのだ」と仰られました。
保苅さんの使われた“和する”という言葉が印象的でした。
「和する」について大辞泉には下記のように書いてあります。
「他の詩歌にこたえて、それにふさわしい詩歌を作る」
西行はこの峠道のことをこう詠んでいます。
――年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山
西行の生きた当時、都から関東に行くには、鈴鹿(三重)、小夜の中山(静岡)、箱根(神奈川)と3つの難所を越えねばならず、とても大変でした。西行は晩年になり再び関東へ向かうことになったとき、そのときの喜びをこのように詠んだのです。
辻さんは若かりし頃、ギリシアで受けた啓示をずっと持ち続け、それをこの最後の作品『西行花伝』に遺したのではないでしょうか。辻さんにとって西行は若い頃から書きたかった対象だったそうですから、それは年齢を重ねて一つ一つと難所を越えて作品を書いてきた辻さんの『西行花伝』という峠を越える喜びの現れだったのかもしれません。
あとがき
憧れの人が憧れの人を語るこのような機会、拝聴することが出来てとても幸せでした。
講演終了後は余韻に浸りながら辻さんの資料を拝見しました。
以前、池袋で見た辻さん画の「福永武彦先生」の似顔絵をもう一度見たかったのですが、今回は展示されていませんでした。けれどご夫婦でやり取りされた沢山のイラスト、小さな字でびっしり書き込まれたノート、愛用していたパリの古地図、様々なものを見て作品には出てこない笑顔で生活する辻さんの姿を想像することができ楽しかったです。
谷崎潤一郎賞の賞状には井上ひさしさんの署名が。
中学生の頃、山形で開催された講演の折り、恐る恐る声をお掛けしたら優しく楽屋に招いてくれたことを思い出しました。
ところで今回辻さんがフランスに留学したのが32歳だったと知りました。今の私と同じ年齢だったことに驚きました。まだまだ辻邦生さんについて語ると、書き足りないことがたくさんあるのですが、このくらいにしておきます。
「辻邦生―パリの隠者」は11月18日(土)まで、恵比寿の日仏会館で開催されています。私も仕事帰りにもう一度行きたいと思っています。
2013年4月パリ。辻さんの住んだアパートの前で。お見せ出来ませんが満面の笑みをたたえて。
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