係留された船への手紙
拝啓、お元気ですか。
少し前には桜の季節だと思っていましたのに早くも夏の陽気で、毎朝の散歩中に浴びるお日様の光が、日ごとに熱を増してまいります。
私の住む町では街路樹の葉の色が一段と濃くなり、風が吹くとその葉ずれの音もひところよりも硬さを増したように聞こえます。
先日、一冊の本を再読いたしました。いままでこの本を何度読んだのか覚えていないのですが、はじめて読んだときのことはよく覚えております。それはもう20年ほども前のことです。当時のしおりが挟まっていたページの次のような文章に、この20年の歳月を越えて、過去の自分の思いがよみがえってまいりました。
満席だったテラスをあきらめ、キャビンで淡泊な鱒のフライとビールを味わいながら、静止しているのかどこかへ運ばれているのか、それともただ酔いがまわっただけなのかわからなくなって、まわりの客がみな帰ったあとも惚けたように窓のすぐ下の水のきらめきをながめていたのは、十数年まえの話だ。あのときといまと、なにが変わり、なにが変わらずに残っているのか。自分はこう変わった、こんなふうに成長した、と第三者のまえで堂々と口にできる人々が、彼にはひどくうらやましい。いや、正直に言えば、疑わしいとさえ感じることがある。彼のなかにはだらだらと切れ目なくつづく日常があるだけで、日々の流れの幅がひろくなったりせまくなったり、あるいは勢いが増したり減じたりすることはあっても、そのあいだの変化を明確に言葉にすることなんてとてもできないのだ。
(堀江敏幸『河岸忘日抄』新潮文庫)
あのころ、未熟な青年に過ぎなかった私も、成熟したとはいえないまでも、いまではすっかり中年になりました。あらためて時の経つ早さにおどろいています。けれど不思議なことに、あのころの青年が私になったのだというような気がいたしません。
もちろん人間はそれほど大きく変わるものではなく、あのころからなにも変わっていない、と思うことも沢山あります。しかし、だからこそなのかもしれません。20年の時の変化にさらされず、あのころの自分がまだ、いまの私としてではなく、そのままどこかにいるような気がするのです。
2020年代のはじまりは世界中の誰もが知ってのとおり、暗雲が立ち込めるものになりました。私の肺にもその暗雲は入り込み、それはこの数年来、ともに生きねばならないものになっています。
そして世の中が少しずつ暗雲の影響から脱しつつあると見えたのも束の間、世界はますますあと戻りのできない方向に舵を切っていくように見えます。
電子の世界もあのころとは随分変わりました。少しのぞくだけでも沢山の情報とあらゆるひとの感情が溢れていています。ただ平和を願えば〝無責任〟と言われ、一方でさらに無責任と思えるような勇ましい言葉が目につきます。
葛飾柴又生まれの昭和を代表する人気者「それを言っちゃあ、おしまいよ」が口癖のあのひとが、20年ぶりに帰った故郷で妹の就職先を知り「今の世はなんたって電子だからね!」と言っていた時代と、私たちの「電子」に対するイメージには雲泥の差があります。なにしろあの時代の「電子」はパンチカードや磁気テープに入力されていたのですから。それはデジタルなものが一度アナログに変換されて世界に生まれるいわば人の手を介した工程でした。
真空管のように丸くて温もりのある風合いからイメージされていたかつての「電子」は、いまでは見かけることがなくなりました。量と速度が圧倒的に増して、もしも触れることができたなら一瞬で貫かれそうなくらいです。そのスピードの変化はこの数年、いままでの速度を超えて加速しているように思います。
そんな状況で、私は電子の世界に少し距離を取るようになりました。それと同時に「言葉」を読まれるかもしれないものとして使うことからも遠ざかっていきました。
思えば不思議なものです。故郷が絶望的な被災をしたあとも、過酷な仕事に気持ちがすり切れてしまったあとも、時間の経過とともに「言葉」はまだ、なにかを伝えるものとして自然に湧き上がって来たのです。
しかし、いつとはなしに自分の言葉を誰かに読んでもらおうという気持ちがうしろめたいもののように思え、気まぐれに書いた形になることのないメモだけが増えていきました。
このような変化はもしかしたら環境のせいばかりではなく、近頃余儀なくされているつっかえ棒がなければ持ち運べない体のほうにも要因があるのかもしれません。けれど言葉への執着からはなれて、なにか自由になった気がしたのも事実です。
この数年、そんな風にしてときおり水漏れのように落ちる言葉の断片だけが溜まっていきました。ほとんどは読むに耐えないそんな言葉の断片も一定の量ともなれば、なにか意志を持ったもののように自ら流れる方向を定めようと動き出します。
いま、それを読み返してみると自分が若いころに通過した大きな分岐点から、ずっと繰り返し考え続けてきたことがぼんやりと見えてくるような気がいたします。数十年の時間が経っても、それは未だ結果ではなく経過に過ぎないものではあるのですが。
20年前の自分を思い返してみると漠然とした不安の中で生きていた、という感じがします。客観的に見れば若さゆえの当然のことなのかもしれません。しかしあの頃の私には、それは恐怖に近い不安だったのだと思います。
思えばあの頃、私には「社会への適応」も「個性的」であるということも、どちらも同じくらい難しく、なにか宙ぶらりんの中途半端な場所にいるという焦燥感のようなものだけがありました。
私は自分が何者であるのかをうまく説明できるようになることよりも、その中心が中空であると知りながら、Aではない、Bではない、Cではない……、というように延々と続く否定系を通じて、まるで玉ねぎをむいていくような仕方でしか、自分というものを考えることができませんでした。
これではいけない。私はこういう人間だ、と強く言うことのできるなにかを見つけなければならない。そういう思いにとらわれて、あのころの私は日々不安を募らせていたのです。
しかし私は結局、そんな玉ねぎをむくような仕方でしか歳を重ねることができませんでした。考えてみるとこの20年は、若かった自分が思い描いていた「こうあるべき人間像」をひたすら玉ねぎのようにむき続ける年月だったといえるのかもしれません。
何者かになる必要などないのではないか、そう思えるようになった契機をいまでも覚えています。それは当時アルバイトしていたお店へ出勤する途中にあったデパートの本屋さんで見つけた一冊の本でした。それは書店の本棚で目立つ、派手な色彩の背表紙が多い中にまぎれた静かなたたずまいの本でした。その本の帯にはこう書かれていました。
「ためらいつづけることの、何という贅沢──。」
それは哲学の本でもなければ、胸が躍る冒険の物語でもなく、そこに不安な日々への解答があるわけでもなければ、すべてを忘れて夢中になれるいっときのわくわくがあるわけでもありませんでした。その造作に現されたように、ただただ静かな本でした。しかしその静けさが心地よく、読み進めるにつれて私は穏やかな気持ちになっていきました。
ひとの一生のなかで、あのときが、自分にとってとても大きな分岐点だった。そう思える瞬間というものはそう多くはありません。けれど私にはあのときの、その静かな本との出会いがとても大きなものだったのです。
のちの人生でなんらかの成功や結果に結びつくわけでもなく、目に見えてなにかが明確に変化したというわけでもない、こんなささやかな一冊の本との出会いを、これほど大切だと思うのですから不思議なものですね。けれどその出会いがなければ、そのあとに巡り会うあらゆるものとの出会いかたもまた、いまとは大きく違ったものになっていたでしょう。
いまになって振り返ってみれば、当時の私が欲しかったのは不安への回答や気をまぎらわせるなにかではなかったのだと思います。
悩んだり停滞したりする時間を無駄だとしりぞけて、かろやかに結論をみちびき出して生きていく人物を私自身、尊敬しもするのですが、むしろその時間をおもくうけとめていく凡庸さに価値を見いだしたくなるのです。それはうしろ向きというのではない、むしろひたむきという類いのものなのではないでしょうか。
水は自然に高いところから低いところへと流れていきます。ときには気の遠くなるような永い時間をかけて自ら道をつくりながら。ひとの一生はそれほどの時間とは比較しようがないくらいの短い時間ではありますが、高みに登って行く強い意志を持った生き方がある一方で、水が大地を浸食してゆくように永い歳月をかけながら、自然に自分の流れていく先を決めるような、そんな生き方があってもよいのではないかと思うのです。
あのころ、こんな風に言葉にすることはできませんでしたが、当時、息苦しい日々に私がほっと息をつくことができたのは、その本との出会いがもたらしてくれた、こんな感覚だったのかもしれません。
今年、偶然見つけたある講座の講評作品募集の欄にその本の作者のお名前を見つけました。私はそれがどんな講座なのかもわからないまま、何年も前に書いて仕舞い込んでいた文章を送ってみようと思いました。新たに書いたものではなく、拙さを厭わずにその文章を選んだ理由には、私の体内でずっと消えてくれない暗雲のせいもあります。
とにかくこれを出してみよう。その時は取り上げられるにしても、取り上げられないにしても、送りさえすれば後日結果だけが返ってきて、それで終わりなのだろうと思っておりました。のちにその方とオンラインで直接お話しをすることになると知り、私は知らせが来てから当日までの短くない時間を、眠れなくなるくらい緊張しながら過ごしました。
きっと20年前の自分が知ったら、叫び声をあげるくらい、驚いたに違いありません。
いま、20年前の自分とあらたに出会い直したような思いを感じております。そして老眼の進んでゆく目には、彼の目には鮮明に見えていたものが、同じようには見えないのだ、ということも。しかし輪郭がぼやけるからこそ、境界線を越えて見えてくるものもあるように思います。
久しぶりに、つい色々書き過ぎてしまいました。
雨の季節がやって参ります。
どうぞお元気で。また書きます。
山形小説家・ライター講座
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