風の吹く家
親しいひとの幾人かが鬼籍に入り、この思い出にしか姿をみることのできない人々は、日を重ねるごとに遠ざかり離れていく。彼らの声や表情は、いつの間にか具体的な場面のものではなくなり、霞んだ背景にぼんやりと浮かぶ抽象的なものでしかなくなる。けれど彼らと私の距離は、遠ざかると同時に、私が間違いなく彼らの方へ向かっているという意味において、近づいているともいえる。必ずしも、それが再会を意味していなくても。
若いころは想像だにしなかったことだけれど、私は彼らとの別れから時間がたつに連れて、この不在の人々が、日々生きているものに及ぼす影響が、その存在のうつろさとは裏腹にけっして小さなものではないということを、実感として感じるようになった。
彼らのおもかげは日常の些細な瞬間にふいにあらわれて、私たちを立ち止まらせたり、あるいは前進させたりする。それは好きな本の一節が時を経てより深い言葉に変化して行くのに似て、彼らの不在の長さの分だけ、よりいっそう重みを持って立ち現れてくるものなのだ。
入梅まえのこと。東北をゆっくりと巡りたくなって、ひとりで寝袋とテントを持って旅に出かけた。山形の新庄市に着いたとき、道の脇に古い建物が見えて、そのたたずまいに呼ばれた気がした。それは国の重要文化財に指定された旧矢作家住宅という江戸時代中期に建てられた農家の家だった。
受付のおばさんに挨拶をすると、とてもにこやかな笑顔で迎えてくれて、建物の中を見ていると冷たいお茶と冷やしたトマトを切って持って来てくれた。トマトには塩がふってあって、炎天下の中、汗をかいて脱水症状になりかけていた私にはとてもありがたかった。私がお茶を飲んでいる脇でこの家の歴史を説明し終えると、管理人のおばさんは「ゆっくりして行ってください。ここは監視するカメラも付いてないし、自由に過ごしてね」と言って受付に帰っていった。
おばさんが去った古民家でひとりトマトを食べながら私は涙が流れてくるのを止められなかった。今しがた説明してもらった歴史に感動して流れたわけではない。実のところ私はトマトが苦手だった。けれどせっかく出してくれたその気持ちが嬉しくて、私は泣きながらトマトを完食した。
板の間に引かれたむしろに横たわって目を閉じてみた。窓にかかったよしずを通り抜けてくる風が優しく家屋の中を吹いていき、あたりは静まりかえっていた。
寝転んでいると、ふと亡くなった祖父母のことを思い出した。これほど古い家屋ではなかったけれど、私の祖父母もやはり農家で、今の季節には窓を開けると家の中をこんな風に、涼しい風が吹き抜けていったものだった。
すると突然、懐かしさが込み上げてきて本当に涙がこぼれた。この家に住んでいた人も、きっと貧しくても家族が寄り添いあって暮らしていたのではないか。祖父母の注いでくれた愛情に今さらのように気がつきながら、私はなんだか暖かい気持ちになって、家屋を吹いていく風が涙で濡れた頬をかわかすまで、そこでそのまま横になっていた。
家屋を出ておばさんにお礼をいうと「わたし世話焼きだから。逆に迷惑じゃなかったかしら。気をつけてね」と笑顔で送り出してくれた。そんな彼女の笑顔に祖母の面影を見た気がした。祖母も不意の来客があると心を込めてもてなす人だった。
こんな風に、もう会えないと思っていた誰かに、たとえその面影だけでも再会することがあるのだと気がついて、私にはまた、祖父母との思い出が一段と大切なものになった。
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