日暮れの音

記憶の堆積

「歳は二十八。聡明な人で、目に触れたものは即座に言葉にすることができ、耳に触れたものは心に留めて忘れることはない」(『古事記』序)

夜寝るまえに読んでいた本を朝になってまた開いてみると、どうしたものか、そこまで読み終えた記憶がすっかり消え失せて、なぜここにしおりを挿んだのか、と自分自身を訝しんでしまう。

そんな私のような人間にとって、古事記の序文に語られる稗田阿礼 (ひえだ の あれ)の人間離れした記憶力はまことに羨ましいの一語に尽きるのだが、本居宣長をはじめとして江戸時代以降、柳田國男ら複数の研究者によって女性ではないかといわれてきた稗田阿礼の詳しい生涯は残念なことに伝わっていない。

でも目に触れたもの、耳に触れたものがいつまでも鮮明だったのなら、過ぎ去った時間はいつから過去になるのだろう。良くも悪くも記憶は輪郭がぼやけてあやふやになっていくことで、現在から区別されていく。

彼女は正しい歴史を残すことを使命に、あらゆる文献や口承で伝えられてきたことをひとつひとつ記憶した。しかしその仕事は天武天皇の崩御によって日の目を見ることなく中断される。

二十五年後、六十歳になったとき、太安万侶が阿礼のことばを筆録してまとめた。そうして彼女の記憶した歴代の天皇の系譜や神話や伝説、歌謡を含むこの国の歴史は『古事記』となった。

古事記は二十五年間、稗田阿礼の記憶の中だけにあったことになる。

奈良県大和郡山市、約100軒の民家が立ち並ぶ稗田環濠集落の中心に彼女を祀った神社がある。

賣太神社のあるこの場所は、奈良時代には羅城門のほど近くにあたり、都に出入りする人々の穢れを払う役割をもっていた。

五月、お参りすると拝殿に沢山の人形が並べられていた。思い出の詰まった人形やぬいぐるみをお焚き上げする人形昇天祭があるのだという。

稗田阿礼のような記憶力がない私たちは、人形やぬいぐるみに記憶を仮託することで過去を懐かしむ。だが、なにかの理由で過去と決別すべきときが来れば、人はこんなふうにして前へ進んでいく。

では稗田阿礼はどうだったのだろう。二十五年間『古事記』を記憶し続けた彼女は、太安万侶にそのすべてを語り終えたとき、どんな心境で次の息を継いだのだろう。