日暮れの音

雨粒の下降

このひと月というものひたすら下降を続けている。底のない暗闇を延々落ち続けている感じなのだ。毎晩、今日はどのくらい落ちて来たのだろうと思いながら眠り、しかしその眠りの間にも私の体はずっと落ち続けている。目覚めると今いる場所が昨日よりも深くなった感覚だけがあり、その外は何も存在しない。これだけ下降を続ければ次第に地球の中心に近付き温度が上昇して行くのが、道理ではないか、かつて地底を旅したあの熱狂的な地質学者の甥が心配したのと同じことがつい私も心配になってしまうのだが、そこは彼の叔父、リーデンブロック教授が自信を持って主張する通り、温度差はさほど感じられない。

私は大勢の人が快適そうに過ごしている冷房のきいた場所で、厚着をして震えるのを抑えている。多くの人にとってのその閾値がなぜ自分にとってはこれほどまでに寒さをもたらすのだろう。気圧が変われば水の沸点も変化する。ふと学校で理科の時間に教わったそんなことが頭をかすめる。問題は自分が世界を何処から眺めているかなのだ。

今でもさして変わらないけれど、けして見晴らしが良いとはいえない場所にいた十代のころ、自分の未来を思い描いてみましょう、教師からのそんな問いに私はどんな風にお茶を濁したのだったか。ただ答えた瞬間、未来の自分に近付いたというよりも、無数にあった未来の一つが消えてしまったように思ったことだけを覚えている。

終わらな梅雨。皆の頭上の傘で小気味の良い音を奏でる雨が、私の傘を叩かない。それが私にはとても悲しい。