日暮れの音

梅雨の景色

雨ばかり降る梅雨に傘を片手に身を縮めて歩くのは少し不便だけれど、春の華やいだ気分は去り、本格的な夏にはしばらくの猶予があるこの隙間のような季節がぼんやりと道を歩いているような時、時折見せる湿度のある情景に強く惹かれることがあって、その感覚は田舎町に育った私が東京に出て来た後にしばらくの間都会の喧騒の中に景色を見る余裕もないまま忘れ去ってしまっていたのだが、ようやくその様々なところで壁に反響して広がっていく街の音や、身をかわしながら歩く混雑した路に慣れた頃、それも不意に訪れて来て、長いかんばつのあとに降る雨が干上がった地面に水たまりを作るように、私の窪みを埋めたいったのだった。

水は自然に高いところから低いところへと流れていく、時には気の遠くなるような永い時間をかけて自ら道をつくりながら。それほどの時間とは比較しようがないくらいの短い時間だけれど、都会の景色にたいらにならされてしまった私の心も、時間がたつうちにそうやって降りだした雨を受け入れる窪みをうがち続けてきたのだろう。高みに登って行くような強い意志持った生き方がある一方で、水が大地を浸食してゆくように永い歳月をかけながら、自然に自分の流れていく先を決めるような、そんな生き方があってもよいのではないか。様々な騒音がすれ違って行く街の路上で頭上の傘を叩く雨の音だけが不思議と大きく聞こえて、そのとき眼の端でとらえた水を含んで重さを増した紫陽花が雨粒にあたるたびに微かにはずんでいるように見えた。