日暮れの音

二重螺旋

バスはエッフェル塔を遠くに見ながらセーヌ川沿いを走っていく。繋留された船。それは繋ぎ止められながら、しかし出港を躊躇っているのではない住居用の船。かりそめの停泊を余儀なくされた“彼”はどの船に住んでいるのだろう、と堀江敏幸さんの『河岸忘日抄』を思い出す。

河岸忘日抄

船にはフィクションだということがわかっていても堀江さんが、郵便配達夫にコーヒーを供している姿が見えるような気がした。

わたしがなにか持ってくると、あなたはかならず食べたり飲んだりなさっていますね、と配達夫が笑う。で、珈琲はいかがですか? このあいだとおなじ台詞を彼がお返しすると、よろこんで、と配達夫は両手をひろげ、注がれた液体に砂糖をざあざあ入れて掻きまわしながら、そうだ、このあいだ教えていただいた珈琲、繁華街で働いている友人に頼んで、イタリアものの惣菜店で見つけてもらいました、はやくお礼をと思っていたのですが、これがひさびさの郵便ですからね、と微笑んだ。

ひらがなと漢字のバランスがそのまま、雲に遮られた鈍い光を反射しながら流れていくセーヌのように穏やかな抑揚で流れていく。なにかを待っているわけでもなくその場所にとどまりながら、しかし停滞しているのではない。

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。
―方丈記―

同じ川であり続けながら、それを構成する水は決して同じものではありえない。“彼”は川に浮かび出港することのない船に住みながら、言葉と時間の流れの中を漂っていく。彼自身の体もまた、川の水が流れるがごとく変化していく。それは水滴よりももっとずっと小さく、進化という大河を流れてきたものの話だ。

ぼくは川から目を上げると、ふと掌に目をやる。昔からずっと変わらない皺が縦横に走っている。子どもの頃、うっかりナイフで切ってしまった傷は、鋭い直線となって残っている。それはあたかも過去から今日まで同じであるように見えるが、皮膚は絶えず作りかえられて行く。それは生命の誕生から脈々と受け継がれてきた二重螺旋、遺伝子が作る川の流れによって。

パリから西へ約350Km。晩年のレオナルド・ダ・ヴィンチの過ごしたロワールに、彼が残したといわれる二重螺旋がある。山手線の内側とほぼ同じという広大な敷地に建つシャンボール城。

シャンボール城

1515年、イタリアへの侵攻を成功させたフランソワ1世によって1519年から1539年という、その規模からは信じられないほどの驚くべき速度で建設された。イタリアのルネサンス文化に影響を受けながらも、フランス独特の気分を漂わせるこの城に、ぼくはフランス絶対王政の圧倒的な権威を感じた。イタリアの権力者、大資産家たちが莫大な金をつぎ込んで奉仕してきた芸術が、フランスに於いては権力者へ奉仕しているように思われた。

城の内部、上り下りの人同士がすれ違う事のないように作られた二重の螺旋階段はレオナルドの設計によるものだといわれている。子孫を残すことのなかった彼の唯一の二重螺旋。

ヴェルサイユ宮殿(庭園)

走り続けていたバスがため息のような空気を吐き出しながら停車した。バスを降りると目の前にきらびやかな建物が威厳を湛えて建っていた。17世紀から18世紀にかけて約50年の歳月と莫大な費用を費やして作られた絶対王政の象徴、ヴェルサイユ宮殿。庭園ではちょうど噴水ショーが始まっていたが、残念なことに修復のため工事現場といったほうがしっくり来るような趣きだった。

ヴェルサイユ宮殿(館内)

せわしない旅のスケジュールの中で館内も慌ただしく通り過ぎるだけになってしまい、はるばる日本から楽しみにしてきた妻はがっかりした様子だった。