日暮れの音

秋の響き

 夕方の町をふらふら歩いていると、何処からか涼しい風が吹いてきて、それだけで目的のなかった歩行が、涼むため、とか、季節を感じるため、といった意味を持ち始める。私は宙ぶらりんの状態から自分の行動が意味を持ち始めたことが嬉しくて、さっきよりもずっと慎重に一足一足を前に出して行く。ふと空を見上げると日は暮れ始めていて、いつの間にか空に出ていた白い月が、昼間の明るかった空からだんだんと光を取り戻し始めていた。僅かに黄色みを帯びて光り始めた月が、それでもまだ煌々と輝いたりはしないごく短い時間、空が濃い蒼色に染まるその一時は、まるで一瞬の独立した世界のようだ、と思う。
 私はしばらくの間だけ普段とは別な世界で過ごしているのではないか、そんな錯覚を覚えて蒼い空に見入っている。だが、それは本当に僅かな時間で、やがて空がすっかり暗闇に覆われると、その途端、私はその世界との接続を失ってしまうのだった。
 気が付くと道路脇の花壇や植え込みの辺りから鈴虫の声が聞こえていた。花壇も植え込みもとても狭くて、まさかそんな場所からこんなに大音量で聞こえるものだろうか、と思うほど鈴虫たちは大きな声で鳴いていた。日に日に、本当に少しずつ、夏が終わっていく気配は感じていたけれど、それがまさかこんなところまで進んでいるとは思わなくて、夏の終わりとはそれと同時に秋の始まりでもあるのだ、ということを思いがけず鈴虫たちに教えられた気がした。私はまるで全身が大きな鼓膜になってしまったように鈴虫の声に聞き入っていた。