朝顔の思いで
早起きして散歩に出ると朝顔の花が街の背の高い建物を越して出て来たばかりの朝の日差しに照らされて一筋の皺もない程ピンと咲いていて、その美しさに私はまだ寝惚けている頭を優しく揺り起こされているような気持ちになっていた。朝顔なんて見るのは何年ぶりだろうと記憶の引出しを引っかき回して思い出そうとしてみるのだが、私の記憶は何故かそれよりもずっと以前の小学校の夏休みに育てた朝顔のことを思い出していた。
毎日水をやりその日の天気を確認していつ花が咲き、いつ種子をつけたか日記につけておくこと、そんなことのすべてが宿題だったことを思い返してみると、少し冷めた気持ちになってしまうのだが、しかし毎日朝顔を観察するようなことはなくなってしまった今となっては、そんなことがとても懐かしく思える。
緑色のプラスチックのプランターに、同じ緑色の伸びたつるを支えるための支柱があって、その支柱に絡み付いて一日毎に驚くほど成長していく朝顔に、私は飼い慣らすことの出来ない自然の旺盛な生命力を見たような気がした。いや、それはもしかしたら生命力というよりも、むしろ生きることへの強い欲望と言うべきだろうか。朝顔は一瞬一瞬、瞬間毎に自分の生命をひたすら確かなものにしようと必死になっているようだった。
目の前にある朝顔が僅か一瞬で蘇らせた過去の記憶を、私は季節の終わった衣服をたたんで箪笥にしまうように記憶の中にしまい込んで、太陽が昇るにつれて少しずつ影の減ってきた道をまた歩きだしていた。
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