日暮れの音

部分と全体

数日前から鼻がぐずぐずしているな、と思っていたら、どうやら風邪をひいてしまったらしく、夜になって出てきた微熱にかるい倦怠をおぼえながら、椅子にすわり体に毛布をまきつけて本を読んでいる。

十代のころからずっと彼女の文章が好きだったのに、これまで一度もきちんと理解できたという気がしなかった。それは今までの人生のほとんどの時間を他者から遠ざかるようにして暮らしてきたせいなのかもしれない。人間不信や対人恐怖というのではない。ただ人見知りと相手にじぶんを伝えるすべがわからなかっただけなのだが、それでもこの年まで生きてきて幾人かの親しいひとができると、少しずつだけれど須賀敦子の書いた友人たちの姿が、彼女の本を読むとき、ひとりひとり、かたちを持って立ち現れてくるようになった。

それは私が自分という人間の不完全さを、ある種の失望と諦めを繰り返しながら、そのありのままの判断を、自分ではなくて他者の手にゆだねることだと理解してゆくことと軌を一にしていた。そしてあらためて読み直すと、須賀敦子の本には長年私がじぶんというものに抱いてきた苛立ちを先取りするようなかたちで、こんなことばが綴ってあった。

私とナポリの関係はある納得に到達したようだった。ただ、ナポリおよびその住人についての疑問に、それまでのように神経質に答えを求めることをしなくなっただけのことかもしれない。この町は、全体をうけいれるほかないのだ、そんな思いが私の考えを占めるようになった。部分に腹を立てていると、いつまでたっても、この町とは友だちにはなれない。まず、全体をうけいれてから、ゆっくり見ていると、ある日思いがけない贈物をくれることがある。

これはある早春から夏までの数ヶ月間をナポリの町で過ごすことになった須賀敦子が、ナポリとその住人たちの持つ、暖かさと調子のよさに右往左往しながらも到達したある種の境地なのだが、この文を読んだとき、私に欠けていたのは他者をうけいれるよりもずっと以前に、じぶんという全体をうけいれることだったのではないかと思った。

伝えるもの、ではなくて、伝わってしまうもの、からしか私たちはなにかを本当に理解するということはないから、ひとりの人間の生涯から、そのことばから、どんなものがこぼれ落ちてくるのかは、本人の意思とは裏腹にねじれ曲がってしまうことが多い。しかしそんな部分ではなく、全体を見渡す視野があれば、日常、ただしいことばのつかいかたに気をつけるみたいに、ゆっくりと丁寧に自分自身を表現してゆくことで、それをうけとる側も性急な判断をせずに時間をかけて対象を理解していけるのではないか。

人生は、どうしても妥協するわけにはいかない本質的に大切なものがすこしと、いいよ、いいよ、そんなことはどっちでも、で済むようなことがどっさり、とでなりたっていて、それを理性でひとつひとつ見きわめながら、どちらかをえらんでいくものだ、といった生き方を、あらためて、彼女のなかにみた気がしたのだった。

須賀敦子の文筆活動が晩年のわずか十年ほどに行われているのは、彼女が自分自身を表現するのにそれだけの時を要したということなのだろう。ながい時間をかけて「本質的に大切なもの」と「そんなことはどっちでも」をよりわけていく、そんな際限のない作業のはてに、彼女のことばは伏流水が地表にあらわれるように流れだしてくる。

私がいま、彼女のことばを一応は理解しはじめていると思うのは、彼女という人間がその文章にそれだけ丁寧に表現されているからだ。

若き日の彼女にとって理想郷のように存在したコルシア書店と仲間たち。しかし須賀敦子がそれをことばにして語るのは、それらを激しく照らしていた、自身さえも感光させてしまいそうなあやうい内面の光が落ちついてくるのを待ってからだった。

そして、すべてを物語ったあと、彼女はこんな風に最後を締めくくっている。

若い日に思い描いたコルシア・デイ・セルヴィ書店を徐々に失うことによって、私たちはすこしずつ、孤独が、かつて私たちを恐れさせたような荒野ではないことを知っていったように思う。

孤独の持つ広さは、恐ろしい荒野ではなくて、むしろ「いいよ、いいよ、そんなことはどっちでも」と、済ませられるような、ひととひとのあいだの緩衝材なのではないか。

ひととひとが、お互いを慕い合う関係性の中で求めてもいなかったような物語が生まれてくる。そんな当たり前のことを知ったとき、私はものごとの部分ではなく、少なくとも今までよりは、全体をうけいれてからみる、ということを覚えたのだった。

(引用はすべて『須賀敦子全集 第1巻』/河出文庫より)