日暮れの音

風と光の気配

賃貸住宅のせまいベランダにすこしだけ草花を育てているのだが、亡くなった祖母からもらったクリスマスローズを、この夏の暑さで枯らしてしまった。形見とまでいうつもりはないけれど、まだ小さな苗だったから花をつけるまで育てられなかったのが心残りだ。

この夏は暑すぎて季節の花を植える気にもならず、殺風景なベランダを見ながら過ごしてきたけれど、ようやく秋の気配が遠くの方でし始めたから、近々園芸店に花の苗を見に行こうかと思っている。

先日、十年近くまえに手に入れた本を読み返していたら、その本を手に入れたころのことを思い出した。

当時、上京したてだった私は郷里のなんにもない田舎の、それだけは長所といえるきれいな空気から、急に都会の空気にはなれることができなかったのか、鼻の調子をわるくしていて、二週間に一度のわりあいで病院に通っていた。

病院は御茶ノ水にあったから、通院の日になると神保町の古書店をのぞくのが決まりになっていた。交差点にある大きな書店から靖国神社の方へ歩いていくのが、古書店街を歩く定番のコースだけれど、通っていた病院はその逆のはずれに位置していたから、近くには古書店は見当たらなかった。

ある日の診察帰り、気まぐれにそのあたりを散策していたら、目につかなそうな路地裏のビルに〝古書〟の文字が見えた。ビルの四階にあがると、店主のこだわりを繁栄しながらもどこか雑然としている印象が強いほかの古書店とは違った、物静かな本棚が午後の曇り空からの柔らかい日差しで照らされていた。

風光書房。その名がなんと似合う店なのだろう。そう思ったのをいまでも覚えている。それから何度も訪れたけれど、数年後に残念ながらこの古書店は閉店してしまった。

いま手元にある『植物的生活から』と題された山室静の随想録は、そのときに手に入れたものだ。淡い青色の美しい布装で、裏表紙には版元の八坂書房の標号である亀のマークが型押しされている。

植物を愛おしむような著者の観想が、自然体のきわめて端正な文章で綴られていて、読むこと自体がとても幸福な気持ちになる。

本の中のたとえばこんな一説――

竹は、筍がうれしいばかりでなく、少し風のある日など、その綜々の音をきいているといかにも幽かだ。美しく晴れた日に、その清らかに細い無数の葉を、キラキラ陽に光らせているのもよい。

この一文を読んだだけで、郷里の竹林の微風にそよぐ音、嵐の日の潮騒のような音をなつかしくおもいだす。

この頃のように草木に惹かれたりするのは、やっぱり年のせいだろうか、などと時折り考えて、さびしい思いにもなる。しかし、人の世のたいていの苦労はして来て、さまざまのことにほとほと興味を失って来た私に、まだ草木への愛が残されていることは、ありがたいことと思っている。

こんな風にしんみりとさせる一文もあるのだが、読んでいると時折り、よそから挿し木にする枝を失敬してきたり、山から苗木を掘りとってきたりという無邪気さが、どこか昆虫採集にいそしむ少年のようですらある。

草木への愛ということで、また美しい一文を思い出す。『校庭の草花』と題された文章なのだが、残念なことにこの文章を収録した本は出ておらず、神谷美恵子の著書『生きがいについて』に引用されているきりだ。

中学校の玄関前で六月いっぱい白い匂いの高い、大きな花を咲かせ続けて来たタイサンボクも七月に入ったいま花を終わろうとしている。七月初めの夕闇の中、黒々と立つタイサンボクの木の下で、インドハマユウに白い花の群れがほのかに光っている。
四国の殿様であった松平家の屋敷跡である今の中学校の土地は荒らされて、近所の人達が庭に薪をとりに入ったりしていた、そういう時に松平さんの庭から、インドハマユウを掘り上げて、自宅の庭に植えて何年間か楽しんでいた人があったらしい。余程この花を美しいと思った人なのだろう。
今の中学校の校舎が建てられて何年かたったころのある朝、私は小使さんから、休日にインドハマユウを返しに来た人のことをきいた。「ここが学校になったのでこれを返しに来ました。」とその人は一言ことわりをいって、いまのこの場所に自分で植えて帰ったそうである。
(神谷美恵子『生きがいについて』より浦口真左「校庭の草花」/みすず書房)

戦争中、戦後と自宅の庭でインドハマユウを守り、荒れ果てた庭が学校として整えられたのち、大切にしていた花を返しに来てそっと植えて帰る。この文章を読んだとき、ひとつの植物を通してこれだけ美しい物語が生まれることにとても感動した。

この冒頭に出てくるタイサンボクという木を、ずいぶん昔に駒込の六義園で見たことがある。とても大きな木で、ちょうど花の盛りが過ぎていたから、このタイサンボクとおなじように、花を終わろうとしているところだった。大輪の花を落としながら、艶のある葉が初夏の光で輝いていた。そのあとで迎えた夏はこれほどまでに暑かったのだったか。

まだ厳しい残暑が続きそうな夏の終わり、書き始めた文章はこの夏のように終わりなく続いていきそうなので、早く秋が来ることを願いながら、このあたりで、このとめどもない雑文からタイサンしたいと思う。