黄金色の爆弾
今は変わってしまったようだけれど以前、丸善のブックカバーには大きな日本地図が描かれていて、店舗のあるエリアに丸印が付いていた。
東北の田舎にある私の家の近所にはもちろん丸善はなかったから、こどものころ、父に連れられて上京したさいに買ってもらった本についたカバーを、なるほど丸善はここにあるのかと、あきもせずに眺めていたものだった。
それからしばらくあとに梶井基次郎の『檸檬』を読んだとき、主人公が友人の家を転々とし、街から街へとさまよい歩いたすえに「私の知っていた範囲で最も好きな店」である果物屋で手に入れた檸檬を、そっと置き去りにした丸善の場所を、そのブックカバーで確認した。
丸善京都は作中に書かれたころからずいぶん時間がたって、様子もさまがわりしているだろうけれど、まだ行ったことのない私にとってはその分だけ、好き勝手に想像してみることができた。
丸善の棚へ黄金色に輝く恐ろしい爆弾を仕掛けて来た
乱雑に積み重ねられた画集の上に、今でもそれがあるのではないか、主人公の興奮はそのまま私の興奮になった。
『檸檬』を読んで以来、夕飯の買い出しに出かけたスーパーの棚で見かけるレモンが、なにか象徴的なものに思えるようになった。それはこの作品を読んだ人がみな共通してかかる、一種の熱病みたいなものだったかもしれない。
それから十年近くが過ぎた冬、私は生まれてはじめて、大切な人の生命が尽きようとしている瞬間に立ち会っていた。妻の母、つまり義母ということになるのだが、もの知りな彼女に私は沢山のことを教えてもらった。道ばたの草花や樹木の名前、東北育ちの自分にはわからない東京の風習など、私は会話の中にでてくる彼女のなに気ない知識がとても好きだった。
彼女が息を引き取る瞬間、彼女の家族と共に病室にいた私は酸素マスクを口元からずらして彼女の声にならない言葉を、その唇の動きに合わせて、まるで自分が彼女の声帯になったようなつもりで声に出した。
すでに彼女は何度か呼吸を止めていたけれど、呼びかけるたびに戻ってきては何かを伝えようとしていた。
「ありがとう」
「ごめんね」
「あいしてる」
読唇術など知らないのに、ひとことずつ、彼女の唇はたしかにそう動いた。私は彼女の口元に酸素マスクを戻したけれど、その瞬間、頭からすっと力が抜けていくのが分かった。
もう一度呼びかければ、またそれまでのように戻ってくるかもしれないと思った。だが自分の意思を伝えきった彼女に、私たちはもう一度呼びかけることはしなかった。彼女が死に抗い続けた時間が、もうそうしてはいけないことを、そこにいる全員に告げていた。
私はベッドの脇に置かれた棚の上のレモン果汁を見た。それは二日前、秋の初めに入院してからずっと何も食べることも飲むことも出来なくなっていた彼女が、レモン水で口をゆすぎたい、と言ったために買ってきたものだった。
病院の一階の売店には売っていなくて、私はスーパーを探しながら隣駅まで歩かなければならなかった。いつもならそんなことはぜずに、また来るときに買ってくる、とでも言っただろう。
なぜその日、自分がそうしてしまったのかは分からないけれど、次に会ったとき、彼女はほとんど意識を失っていた。だからレモン果汁を買って病室に戻った時、遅い私を心配していた彼女がとても喜んでくれたのを今でもありありと思い出す。
彼女と出会って、わずか三年ほどにすぎなかったけれど、時間の長さとは無関係に、私は彼女の不在によって自分の人生から多くのものが喪失してしまったように思えた。そして彼女との思い出を考えるとき、一人のひとが人生で与えてくれるものの豊かさに改めて驚くのだった。
黄金色の爆弾はこうして、音も立てずにしずかに爆発した。レモンはその日以来、私にとってまた忘れることのできない果物になった。
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