日暮れの音

はかなさ の かげろう

露の世は 露の世ながら さりながら

小林一茶のもっとも有名な句のほんとうの美しさをしったのは、フランスの作家、フィリップ・フォレストの意訳を読んだときだった。

私はこの世が 露のように儚いことを知っていった そうではあるのだが
(『さりながら』フィリップ・フォレスト 著、澤田 直 翻訳/白水社)

この意訳は仏語に翻訳された一茶の句を読み解いたものだけれど、それをまた日本語に翻訳しなおすという、複雑な手続きのあいだにも、一茶が「露の世は」という語に込めた無常感は動かしがたく残っている。

フォレストが二分節目に加えた〝儚い〟という語は仏語で〝éphémère〟。この言葉には名詞としての側面があって、そちらには〝かげろう〟という意味がある。命の短い昆虫は名に儚さを冠している。

一茶が52歳という遅めの結婚をした翌年、妻、菊とのあいだに長男、千太郎が生まれる。しかし千太郎は生後わずか28日で死んでしまう。

その翌年に女の子が生まれ、さと、と名付けられた。一茶は愛娘を溺愛し、妻が授乳する姿をこのように詠んだ。

蚤の跡かぞへながらも添乳かな

娘がノミに噛まれたあとを数えながら授乳する妻。それを句にする一茶。幸福な家族の姿があらわされた一句だが、さとは一歳で亡くなってしまう。

一茶はそのなげきを「露の世は」と詠った。そしてまた、小児癌で愛娘を喪ったフォレストはそこに〝儚い〟と付け加えた。

かげろうはまた、日本語では〝陽炎〟と解することができる。

さとを亡くした翌年、一茶に次男が生まれる。石のように長生きしてほしいという願いを込めて石太郎と名付けられた。だが、この子も生後100日を前に亡くし、一茶は深く嘆き悲しんだ。

陽炎や目につきまとふわらひ顔

追えども追えども、二度とつかまえることのできない笑顔。それは陽炎のように一茶につきまとっていた。

一茶はさらに三男の金三郎と妻の菊をあいついで亡くす。

4人の子と妻を亡くし、一茶は「もともと自分は独り者だ」と自嘲気味に句を詠んだ。その句にはひとりで迎えた正月のわびしさが、深い哀切となって響いている。

もともとの一人前ぞ雑煮膳

まったく、この世は露のように儚い。深い悲しみの記憶は、時に強い悔恨の念となって我々をさいなむ。

けれど、一茶が最後の文節〝さりながら〟にたくしたように、露は消え去っても、それは大気の中にかたちを変えて存在している。

〝儚さ〟とは消失をまぬがれながら、私たちの中に存在し続けるなにかなのだ。