日暮れの音

ベルリンの瞬間

“美しい文章”とはどういうものだろう。綺麗な言葉遣いというのとは勿論違う、単語の持つ意味を超えて生まれてくる言葉の流れの中に、静かな森の中を下って行く小川に裸足を浸して、その音以外のなにものもない空を見上げているような快さと、どこか懐かしい親しみを感じる時、ああ、美しい文章だ、と思う。

もう十年近くも前、初めて堀江敏幸さんの文章を読んだ時、なんて美しい言葉なのだろうと思った。黙読する頭の中でその言葉が音にはならずとも目の前で空気を震わせて行くように思われたのだ。そしてその言葉の残響からやがて倍音が除かれ『正弦曲線』へと変化して行くと、その浮遊感の中で永遠に言葉にあやされ続けているような感覚に陥っていた。

春、そろそろコートもいらなくなってきた頃。三週間に渡って入院していた術後の妻が徐々に体力を取り戻してはいたが、摘出された腫瘍の良性、悪性を巡っての検査結果がなかなか出ずに不安な気持ちでいた。仕事先の近くに偶然見つけた小さな隠れ家のような図書館で、本など読めるはずもないと思いながら、ただ時間を潰すためだけに棚を眺め、半ば投げやりに一冊の本を引き抜いた。本を開いた時、どこかに微かなせせらぎの音がした。その音の水源が確かめたくて幾頁かを繰り、そして改めて表紙を見た。―ベルリンの瞬間。

ある日の仕事中、妻からの連絡が入る。検査結果が良性だったという報告にそれまで身に纏わりついていた重い空気が、散り散りになって何処かへ消えていく感じがした。図書館で借りたまま鞄に入れっぱなしになっていた本をその日、帰りの電車で読み始めた。微かなせせらぎだった音は次第に淀みなく流れる快い音を立て始めた。

98年、壁の崩壊から9年が経過し社会主義が残した予熱は冷め、しかし人々はどこかに癒えることのない傷を負って生きていた。その中で丁度1年間という期限付きで暮らす外来者としての視点は、ベルリンの重い空気を切り分けながら、次第に生活者のそれとなっていく。

両手を必要最低限なもので塞ぎ、重い空気を切りわけるようにしてひたすらすすむ歩行が、ここの生活そのものである。

故郷から何か救いを求めるようにベルリンへとやって来たカフカの暮らし、ナチスから逃れる山中、生涯を閉じたベンヤミン。彼らの生活音が伴奏のように遠い日本からきた外来者の生活へと寄り添っていく。

平出隆さんの文章の水源は、溢れだすようというよりも、染み出してくるような穏やかさで次第に流れを作って行く。それが心地よくて、頁を繰る。

地下を走っていた電車が地上に出て、大きな橋を渡る時、ふと目を上げる。車窓に高速道路の光を反射した河が見えた。それは昨年夫婦で行ったイタリア旅行で、夜の散歩に出て迷子になったヴェネツィアの運河を思い出させた。