キケロ―もうひとつのローマ史
夜、喉が渇いて自動販売機で飲み物を買おうと外に出たら雨が降っていて、とても久しぶりに湿気のある空気が辺りに充満していた。パラパラと雨粒の音が心地よく、夜の闇がとても親密に感じられた。寒ささえもそれまでの刺すようなものではなくて、春の花々が蕾の中で開花を準備するように、ぼくはどこか遠くの方で、自分の身体が春に向けて何か、スイッチのようなものを押した気がした。
平穏な毎日にあっても人の心は沢山のことに動揺し、不安定極まりない。ぼくはいままで自分が行ってきた選択の正しさを証明できず、自分自身が優しさや親切だと思ってきたものが、ただ、波風を立てぬために選んだ後ろめたいもののように思える。
激動の中にあって、しかもその中心に生きているのなら、なおのこと心は平静ではいられない。紀元前一世紀。ローマ人、マルクス・トゥッリウス・キケロはまさに激動の中心に生きた人だった。貴族階級の腐敗とそれによる共和制という政治体制の危機は国の存亡を左右する事態だった。その渦中でキケロは現在の政治体制を正しく機能させることで、その打開の道を探っていた。だが、天才ガイウス・ユリウス・カエサルはその鋭い分析力で国を救うには政治体制の維新しかないと考えていた。
ぼくたちの生きる現代、歴史を結果から見るのならば、キケロの考えは甘く、その後数世紀に渡って君主制というかたちで国が存続したことによってカエサルの正しさが証明されてしまった。しかしこの二人の同時代人を語るとき、最も重要なのは、二人ともが同じく無念な死を遂げているということだろう。
けれど、死後己の判断が間違っていなかったことが証明されたカエサルに比べて、キケロの場合、その死はまことに無念と言うべきものだった。それは敗北を意味したからである。では何故このような差が生まれてしまったのだろう。様々な本を読めばそこには彼の先見性のなさや優柔不断、自己陶酔、自己保身、日和見的な態度など、およそ人間的欠点の見本のような事柄が並んでいる。確かに彼はここぞ、という場面での決定力に欠け、ひとつの成功に執着し、権力を振るうことを好み、政治動向に流されやすかった。
凡そ人間的魅力の全てを備えたカエサルは現代では常に英雄として語られる。しかしキケロは教養人ではあるがその生き方については、やや道化じみて描かれ、彼の残した膨大な著作が後代獲得した名誉に比べて不遇という他ない。
それでは本当にキケロは単にそのような道化的人物だったのだろうか、そのものの見方に異を唱えるのが本書、『キケロ―もうひとつのローマ史』である。ぼくはこの本を読み進むうち、だんだんキケロの魅力に惹かれていった。それはカエサルのような超人的で完璧な魅力ではなく、不完全ではあるけれどとても人間臭い魅力だった。哲学を愛し、毎日のように友人に手紙を書く彼は、人間的すぎるほど人間的だった。キケロ、ラテン語で「ひよこ豆」を意味するこの名前も彼の魅力となっている。伝統的に古くからの貴族が支配する元老院に於いて、まったくの新人の彼はこの無名の名の改名を勧められたとき「いや、ぼくの名を有名にしてみせようじゃないか」と言っている。
何故、キケロは歴史的判断に於いてカエサルに負けてしまったのか、それはマルクス主義と資本主義の関係に似ている。マルクスは100人のうち10人が恵まれないのならば100人が一割ずつ我慢すれば良い、と考えた。しかしこの考え方は人間の欲望にあっさりと否と唱えられてしまう。キケロはまさに人間の欲望を甘く見たのではないだろうか。政治的状況に応じて妥協しながらも努力し続けた彼は、いずれ人間の美徳によって全てが正しい方向へゆくと信じていたのだろう。カエサルは人間を知っていた。欲望を放っておけばどうなるのか、人間の善性を最後まで信じたキケロは、そのために歴史上敗北者とならざるを得なかった。
人間ならば誰にでも、すべてが見えるわけではない。多くの人は、自分が見たいと欲する現実しか見ていない
キケロはカエサルのこの言葉に「理想に向かって生きるのが人間である」と答えたかったのかもしれない。
カエサルとキケロ、彼らはその才能の故に死を迎えることになったという点で共通している。カエサルは驚異の天運と分析力と行動力によって、そしてキケロはその見識と博学、そして理想によって。
理想と現実との葛藤の内に人は毎日を過ごしていく。しかし過ぎ去ったものごとに対しては、ぼくたちは過去の自分を信じるしかない。選択を拒否することは出来ない。「何も選ばない」ということもそれを選択してしまったことになるからだ。
自分の優しさや親切に不信感を抱くとき、ぼくは自分の深渕を覗き込んでいるような気持ちになる。そこには理想とは程遠い暗黒が立ち込めていて、とてもエゴイスティックな自分が己を正当化しようと企んでいる。己の理想像を信じ続けることはとても難しい。死を選んでまでそれを成し遂げたキケロは決して敗者ではない。
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